願生寺の嫁ブログ
寺嫁日和
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筋力
2020.05.31
またまた更新が滞ってしまいました。
お久しぶりです。
コロナで落ち着かない状況でしたが、いかがお過ごしでしたか?
コロナやステイホームとは全く関係ない私事なのですが、第二子出産後突然ダイエットスイッチが入り、1年かけて自己最高体重から約10キロ落としました。
お檀家様の中にも私が痩せたことに気付いてくださる方が何人かいらっしゃり、「痩せたね」と言ってくださることを嬉しく感じていました。
今は最高に落ちた時から数キロは戻りましたが、激太りしないよう健康的な生活を心がけています。
本格的なダイエットなんてしたことがなかったので何をどうすれば良いか分からず、とりあえず夕食はサラダだけにすることにしたのですが、主人からのアドバイスで筋トレも取り入れることにしました。
それと同時に毎日柔軟もすることにしました。
筋トレと言ってもそもそもそれまでの人生で腹筋背筋ほぼしたことないので、私には腹筋も背筋も全くない状態でした。
なので、そんなにハードなことはしておらず、とりあえず毎日やることを目標に、ゆるやかに筋トレを開始しました。
そんな風にゆるゆるの筋トレに励んでいた頃、何気なくいきなりブリッジがしたくなり筋トレ後ブリッジをしたところ、当然ですができませんでした。
腕にもお腹にも全く力が入りませんので体が持ち上がるはずもなく…
思い返せば幼稚園の頃はブリッジができていましたが、それ以降人生でブリッジをする機会はなかったように思います。
そしてまた別のある日、子どもを公園で遊ばせていたのですがいきなり鉄棒で逆上がりをしてみたくなりしてみました。
これも当然のようにできませんでした。
それ以来、腹筋背筋に加えて出来る日はダンベルで腕のトレーニング、スクワットも取り入れました。
するとしばらくした頃、ブリッジができるようになり、さらにしばらくした頃逆上がりができるようになりました。
こんな経験から、「筋力」って大事だなと思うと同時に、ブリッジができるようになりたい、逆上がりができるようになりたいと思ってただ闇雲にそればかり練習していてもあまり意味がないということに気付きました。
何かができるようになりたいならそれに必要な筋肉をつけなければならず、毎日地道に筋トレすることは目的に対して遠回りしているように見えて、実は一番必要なことなのではないかなと思いました。
そしてこれは人生のあらゆる場面でも言えるのかなと思っています。
例えば肌荒れを治したいからといって高額な化粧品を使っても食生活や生活そのものが乱れていたらあまり意味がなかったな、とか、社会人の頃「もっと仕事ができるスーパー営業ウーマンになりたい!」とどんなに思っても人としての基本動作(言葉遣いや所作をきちんとする、落ち着いて行動する、レスポンスは早くするなど)がそもそもできていなかったら成果なんて上がるはずもなかったな…とか。
何かが上手くいかない、何かがどうしてもできないと思った時、そればかりを考えるのではなく、実は別のところを鍛えれば、改善すれば上手く行き始めることもあるのかなと思います。
そして、どうしてもその時分からなかったことが何年か経って「もしかしてあの時…」と思うこともあります。
現在の私の生活の中心は育児ですが、母としての筋力とは何なのか、考える日々です。
子どもの前では強く優しく穏やかでありたいものですが、どうしてもそうなりきれないことばかりです。
しかし、よくよく考えれば私は子どもにだけではなく、「強く優しく穏やかに」なんて全ての人に対してそんな風に接することはできていません。
社会人の頃会社の先輩から「相手に対する思いやりが足りない」と言われたことが何度もあります。
そう言えば4年目から退社時までお世話になったグループ長から私は「心がせまい」と言われました(笑)
母としての筋力を鍛えたいなら人としての筋力を鍛えなくてはですね。
誰に対しても思いやりを持って穏やかにはいきなりハードルが高過ぎるので、とりあえず主人に思いやりを持つことから始めたいと思います。
いつもの日々を大切に
2020.03.10
長女が幼稚園に入園したのは昨年4月。
言葉がやや遅く、集団行動や指示行動が苦手な娘の幼稚園入園は不安しかありませんでした。
それでも4月から、6月に風邪を引いて一週間休んだ以外は毎日登園しました。
運動会や音楽会など行事の度ごとに娘の成長を感じ泣きそうになる始末でした。
娘は何も特別なことはしておらずただ普通に参加しているだけなのですが、入園前の娘はその「普通」がとても難しかったのです。
また、行事の時ばかりではなく、毎朝手を繋いで幼稚園に行き、一人教室に入って行く姿に、お迎えのときに私のところへ走ってくる姿に、日々成長を感じていました。
2月も中旬を過ぎた頃、「あと1ヶ月で年少も終わりかぁ…」と1年を振り返ると、しみじみとなんて良い幼稚園生活だったんだろう。
残り1ヶ月で年少が終わってしまうのは寂しいなと思っていました。
しかし、残すところ1ヶ月弱というところで新型コロナの影響で休園となってしまいました。
事態が事態なので仕方ないですが、突然年少が終わってしまうことに対して全く心の準備ができておらず、寂しさで胸がいっぱいになってしまいました。
もしも2月29日が年少最後の日だと予め分かっていたなら、それまでの日々をもっと大切にしたのに。
お世話になった先生方にもっと感謝の気持ちを伝えたのに。
仲良くしてくれたママ達にもっと感謝の気持ちを伝えたのに。
年長のお友達に「ありがとう」と伝えたのに。
毎朝娘と歩く一歩一歩をもっと大切にしたのに…
と、後悔ばかりです。
なんの前触れもない突然の別れほど寂しいものはないんだなと改めて実感しました。
「諸行無常」とは、
この世に存在するすべての物事は同じ状態を保つことなく移り変わり、永久不変なものなどないということ
らしいですが、今回の幼稚園休園も諸行無常というのでしょう。
そして、何かが同じ状態を保つことなく移り変わった時、後悔が募るほど寂しいと感じるのでしょう。
その「何か」に愛着が強ければ強いほど移り変わって欲しくないと思ってしまうのですが永久不変でいることは不可能ですね。
だからこそ日々一瞬一瞬を大切にし、感謝の気持ちを持つべきなのでしょうね。
次に幼稚園に行く時娘は年中。
年長が終わる頃までは手を繋いでくれるかな?
小学生や中学生になったら、たとえ娘でも母親と手なんて繋がないですよね。
手を繋いで登園できる日々に感謝しながら、1日1日大切に過ごしていきたいです。
季節の行事を本気で楽しむ
2020.02.17
2月3日は節分でしたが、皆様豆まきはされましたか?
お寺では毎年節分はイワシの頭の飾りを門や玄関に飾って、夕方に節分法要をして、豆まきをしつつ戸締りをしています。
どちらかと言うと形式的に節分法要から豆まきをしていて、それらの行事を楽しむと言う感覚はあまりありませんでした。
と言うのも、私は季節の行事を本気で楽しむことがあまり得意ではないからです。
クリスマスやハロウィンなど、一年を通して季節の行事は色々とあります。
クリスマスパーティーなど、人から誘っていただければありがたく参加するのですが、自分から「クリスマスパーティーしよう!!」と企画してパーティーをとり仕切るようなことは本当に苦手です。
我が家には子どもがいますが、こんな母親なので、家族でクリスマスパーティーとかハロウィンパーティーとか、今まで一度もやったことがありません。。
本当は部屋を可愛く飾り付けしてご馳走を作って、何ならケーキまで可愛いのを作って…と、そんなことができるママに憧れるのですが、私はそんなこと一切できず、毎年何となく行事が終わっていきます。
先日の節分も、きっと何となく終わるはずだったのですが、たまたま子どもが通っている幼稚園のママに、「豆まきする?」と聞かれ、「うん。毎年お寺でやってる」と答えたところ、そのママがお子様と一緒に来てくれることになりました。
でも、毎年形式的にやっているだけなので、せっかく来てくれるのに全然つまらなかったらどうしようと思い、急遽私が鬼のお面をかぶり、鬼役になることにしました。
子ども達が豆まきを始めた直後に鬼のお面をかぶって「悪い子はいないか〜」と言いながら子ども達のところに行ったのですが、子ども達、誰が鬼なのか完全に分かっているので全く怖がることもなく、本気で私めがけて豆を投げてきます。
本気で逃げ回る鬼。本気で豆を投げながら追いかけて来る子ども。それが30分くらい続いたのですが、終わった後、なんて充実感!!
こんなに充実した節分は今までありませんでした。子ども達もよほど楽しかったのか、表情が生き生きしていました。
ただ何となく季節の行事をするのではなく、季節の行事を本気で楽しめば、こんなに楽しく充実するんだなと気付くことができました。
「ただ何となく」行事をしても、「ただ何となく」生きても、きっと楽しくないんですよね。
「ただ何となく」今日一日が終わっていき、「ただ何となく」日々が過ぎて行き、「ただ何となく」歳だけとっていき…
それはそれで私の生き方の根底に流れるリズムですが、そんな生き方にどうしようもない閉塞感を感じることが多々あることも事実です。
あまりにも毎日充実させるのは性格的に難しいですが、季節の行事などのイベントを本気で楽しみたいな。と思った今年の節分でした。
おみくじ2020
2020.01.15
そう言えば、去年増上寺で引いたおみくじ当たってたなといきなり思い出し、1月4日に家族で増上寺に行って来ました。
去年は何吉だったかは忘れましたが、「なかなか運気はよくならず、特に前半は苦しいことが多い」みたいなことが書いてありました。
以前ブログにも書きましたが、去年、平成の終わりの1月から3月、毎月とんでもないことが起こりました。
おみくじの「前半は苦しいことが多い」って、まさにその通り、当たってた!と思い、今年1年の運気を占うためにも、増上寺に行って御本尊様に手を合わせた後、おみくじを引きました。
今年は小吉でした。
「運気容易に開けず口舌多し 急がず時の到るを待ちて事を行え」
とのことです。
願事も失物も旅行も学問も相場も、全てあまり良いことは書いていませんでした。
新年早々前向きに生きる気力をやや失ってしまいました。。そして蘇る去年の悪夢。。
去年起こったことは全て自業自得とは言え今年もまたとんでもないことが起こってしまうんだろうかと思い、恐怖すら感じ軽く目眩を起こしそうになってしまいました。
しかし、ここでこのおみくじを結んで帰っては去年と全く同じです。
おみくじって結局、「こうなるよ」ってことではなく、「こうなるから気を付けてね」と注意喚起しているのではないかと思います。
去年の私は耳が痛い言葉に耳を傾けようともせず、あまり良いことが書いてないおみくじを増上寺に結んで帰りました。
そしてその後、取り返しのつかないことをしてしまいました。
痛い目を見ないと気付くことができなかったことが情けないですが、痛い目を見てやっと、耳が痛い言葉にも耳を傾けようと思うようになりました。
おみくじには「運気容易に開けず…」と書いてありましたが、後半部分に重要なことが書いてあるのです。
「脇目をふらず正直に働いて信心怠りなけらば自ずから幸福が訪れます」と。
毎年毎年新年に目標を立てても1年が終わる頃には目標を立てたことすらすっかり忘れているので、今年は目標なんて立てていませんでしたが、おみくじを引いた途端に、今年は細心の注意を払い、脇目をふらず正直に働き信心怠らず生きていこうと心に誓いました。
と、新年早々たかがおみくじで一喜一憂して今年の目標まで立ててしまいましたが、皆さんはおみくじ引かれましたか?
ちなみに私の知り合いは、「小学生の時おみくじ引いたらろくでもない内容でそれ以来おみくじ引いてない」と言ってました。その知り合い、私と同じくらいの年齢なので、もう20年以上おみくじ引いてないことになります。
私はこの知り合いのブレないところがほんの少し、羨ましいなと思いました。
新年あけましておめでとうございます
2020.01.04
昨日は箱根駅伝復路でしたね。
10区で門前を通るので、箱根駅伝ファンの私はスマホでテレビ中継を見つつ、沿道に出て応援しました。
門前を青学が1位で通過した後、スマホのテレビ中継はほぼずっと1位の青山学院大を映しているのですが、青学が大手町に差し掛かってもなお、我が家の前を各大学が通過していきます。
その光景を見て、何故かウルッときてしまいました。
勝負なので優勝することが何より素晴らしいですし、上位に入ってこそ意味があるのでしょうけど、たとえ10位以下であっても選手の皆さん真剣に走っていて、監督は監督車から「さぁ行くぞー」と応援されています。
1位でなくてもみんな一生懸命よね…と、そんなの当たり前のことなのに、新年早々思わず感動してしまいました。
さて、2020年も、お檀家様お一人お一人との心の繋がりを大切にしていきたいと思っております。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。