浄土宗 槃舟山易往院願生寺

願生寺の嫁ブログ 

娘の誕生日

2021.05.24

お久しぶりです。

春は何故かバタバタしておりまして、更新頻度が落ち気味ですみません。。

施餓鬼も終わり、最近やっと落ち着きました。
その間の出来事は色々とあるのですが、4月に次女が4歳の誕生日を迎えました。
プレゼントは一緒に買いに行きました。
昨年に引き続き今年もプリキュアのおもちゃを選んでいました。
ご存知の方も多いと思いますが、「プリキュア」とは、女の子向けのアニメで、
一年毎に登場人物、ストーリーが変わり、その都度新しいおもちゃが発売されます。
なので「プリキュア」にハマってしまうと、自然とプリキュア商法にハマり、
一年毎に新しいプリキュアのおもちゃが増えていきます…。
今年は放送中の『トロピカルージュプリキュア』のコンパクトが欲しいと言うので購入しました。
そして早速プリキュアごっこをしていました。
アニメの中ではこのコンパクトを使って変身するのですが、
アニメの通りにコンパクトを使っても当然できるわけがありません。
「変身できない!!」
と困惑しているような次女に対し、私は何と言ったら良いか分からず、
「そりゃあそうだよ。それオモチャだから。ごっこ遊びをするためのものだから。」
と言いました。
この話を主人にしたところ
「なんて夢のない言い方をするんだ」
と言われました。
じゃあ何て言うのか尋ねたところ
「俺だったら修行が足りないからだよ」
と言うと…。
修行が足りない→だから頑張れば良い→色々なことを頑張るようになる
という理論だそうです。
実際に
「プリキュアになりたい!!」
という娘に対し、主人は
「じゃあ色々頑張れば良い」
と返していました。
すると娘
「頑張るって何を?」
と。
主人は
「腹筋したり走ったり、色々頑張って強くなったらプリキュアになれるよ」
と言っていました。
それに対し娘は、
「頑張らなくて良いの!今すぐプリキュアになりたいの!頑張りたくないの!」
と……。
それぞれ思い通りに行かないものだなと思った今年の娘の誕生日でした。
プリキュアにはならなくても良いけど、色々頑張って、強く逞しく生きて欲しいものです。。

センター試験の思い出

2021.01.25

今更ですが、明けましておめでとうございます。

今年はどんな年になるでしょうか…

すっかりそんな話からは遠ざかっていたのでうっかり流れに乗っていなかったのですが、今年からセンター試験ではなく「共通テスト」に変わったとか。

私は生涯2度、センター試験を受けました。(現役の時と浪人した時)

現役の時の思い出話なのですが、国立大を受ける時はセンター試験の受験票と国立大の受験票の両方を持って行かないといけないのに、なんと私、センター試験の受験票を忘れてしまいました。

国立大の試験会場を試験前日下見に行った時センターの受験票を忘れたことに気付き、焦って大学の事務の方にその旨伝えたました。

そうしたら、よくある話らしく「後日郵送してください」と言われ、国立大の受験票だけで何とか試験を受けることはできました。

毎年「センター試験」と聞けばあんなこともあったなと受験票を忘れたエピソードを思い出していましたが、これからは思い出す機会も少なくなりそうです。

年末くらいからお檀家様の受験生の方々が合格を祈念してお参りにいらっしゃっています。

私は全く偉そうなことは言えませんし、そんな間抜けな方はいらっしゃらないと思いますが、どうか受験票はお忘れなく、日頃の勉強の成果を存分に発揮してください。

今年もお世話になりました

2020.12.29

年末ですね。

今年はコロナに振り回され、第3波と変異種の恐怖で終わろうとしていますが、そんな中でも何気ない日常のありがたさに気付ける1年でもあったと思います。

「当たり前」が「当たり前」でなくなった時、「当たり前」の尊さに気付きますね。

だからこそそれはそれで意味のある1年だったと思っています。
とは言え普通に過ごせるに越したことはなかったですが…

12月24日は終い地蔵で毎年地蔵堂の大掃除をしています。今年も地蔵堂のお供えなど全て出して洗って拭いて、お地蔵様も磨いて、全て元に戻して綺麗にしました。
一年間見守っていただいてありがとうございましたという気持ちを今年はより強く感じました。

2021年、コロナが落ち着くかどうかは分かりませんが、コロナ禍ならコロナ禍で手洗いうがいマスクに三密を避けることを徹底して過ごせばいいし、コロナが落ち着けば東京オリンピックパラリンピックなど楽しみな行事を楽しみたいですね。

今年も一年お世話になりました。
健やかに、良い年をお迎えください。

お知らせ

2020.12.19

寒くなりましたね。

今日はちょっとしたお知らせなのですが、高輪ゲートウェイ駅に娘が幼稚園で制作した作品が展示してありますので、ご利用の際には是非ご覧ください。

駅の改札を入ってすぐのエレベーターのところに展示してあります。

先日幼稚園の先生とみんなで見に行って来ました。
作品も可愛かったですが、駅の窓を掃除していた窓拭きロボットを初めて見て、幼稚園のみんなもそちらにも興味津々でした。

窓拭きロボットとか、お掃除ロボットとか、ありがたいですよね。。

お寺では地道にやっています、皆様の大掃除はいかがですか?

満ち足りる

2020.12.03

大分前になりますが、とあるYahoo記事に対するコメントに、

「本当に満ち足りている人は、インスタなどで幸せアピールなどしないんだなと改めて思った」

というのがあり、「本当にそう!!」と共感してしまったその1秒後に、でも本当に満ち足りている人はYahooコメントなんて読まないんだろうな、と思ったまた1秒後に、本当に満ち足りている人はそもそもYahoo記事なんて読まないんだろうな…と思いました。

何せ私はYahoo記事もYahooコメントも大好き。手持ち無沙汰になるとつい読んでしまう有様です。そんな私は「本当に満ち足りている人」であるはずがありません。

そもそも「満ち足りる」ってとても難しい。
独身の頃は結婚すれば満ち足りて幸せに暮らせると思っていたけれど、結婚しても悩みは尽きず、満ち足りた状態とは程遠い日々でした。

結婚して2年近く子どもができなかったのですが、その時は「子どもができたら満ち足りて幸せになれる」と信じていました。
しかし、第一子出産後は人生で3本の指には入るんじゃないかと思うくらいの辛い日々でした。

今振り返るとあの頃の自分は異常だったと思うのですが、とにかくホルモンバランスが乱れに乱れ、気持ちの振れ幅が大きく、出産前なら何てことないことなのに些細なことで泣いたり怒ったり、制御不能な感情をどうすることもできませんでした。。

やり場のない感情を物に当たり、ドアをバーンと閉めたり廊下をドンドン大きな足音を立てて歩いたりして主人や義母に対してもものすごく態度が悪く、今だからあの頃の自分は異常だったと分かるのですが、当時は何でこんなに苦しいのか分からず、毎日地蔵堂に手を合わせ「今日こそは穏やかに過ごせますように」と祈る日々でした。
どんなに手を合わせても穏やかには過ごせませんでしたが。

こんな状況でしたので、「子どもが産まれたら満ち足りて幸せになれる」という私の思いは儚く散り散りになり、あんなに子どもが欲しかったのにどうしてこんなに苦しいんだろう。何で毎日楽しいと思えないんだろう。そんなことばかり考えていました。

そして話は戻りますが、なので「満ち足りる」って難しいなと思うのです。

第一子出産後のホルモンバランスが乱れに乱れていた頃、部屋の掃除すらまともにできず、それでなくても出産前から散らかっていた部屋が益々酷い状態になっていたそんな中で、この期に及んでまだ諦めず「何で満ち足りないんだろう、どうすれば満ち足りた状態になるんだろう」と考えていました。

そして散らかった部屋を改めて見回して、そもそもこんな部屋で生活しているから満ち足りないんじゃないのかなと思いました。

また、当時心が荒んでいたので食べても食べても満足できず、人生MAXの体重を更新し続けており体重計に乗る度にやるせない気持ちだったのですが、部屋が整っていて、自分の納得のいく体型で生きていくことができれば満ち足りるんじゃないのかなとふと思いました。

いえ、満ち足りた状態ではないにしても、部屋が整っていれば物がすぐなくなりその物を探すためにまた部屋をぐちゃぐちゃにし、歩く度に物を踏むこのストレスからは解放される。朝起きた時、帰宅した時、夜寝る時、部屋が整っていればもう少し気持ち良く毎日を過ごせるんじゃないかと思いました。

子どもがいる同じ状況でも部屋がすごく整っている友達が何人かいましたが、その友人達はみんな気持ち良く毎日を過ごしているように見えました。

体型も、痩せていれば良いというわけではないかもしれないけれど、鏡を見る度体重計に乗る度どうしようもなく落ち込むあの気持ちからは解放されると思いました。

部屋を整えたい、ダイエットをしたい、そうすればきっと、今よりはマシになるはずだと、第一子出産後散らかりまくった部屋で途方に暮れながら考えました。

その時、私はいつも、今、ここにないものに幸せを求め、「〇〇したら幸せになれる」という考え方だからいつまで経っても満ち足りないんじゃないのかなと思いました。今、ここにあるものをもっと大切に、感謝して生きることができれば、満ち足りた人生を送ることができるんじゃないのかなと思いました。

これは仏教でいう「煩悩」というものだそうです。煩悩は苦しみの原因で、これはお腹いっぱい甘い物を食べたい、仕事をしないで遊びたいというような、どちらかというとだらしないようなものだけでなく、もっと自分自身を成長させたいといったような、プラスになるようなものも含まれるそうです。

そして、その煩悩は喉の渇きのように何かが達成されてもすぐにやってくるものだといいます。だから、私のようにずっと満たされないことが連鎖的に生まれてくるようです。

「満ち足りる」とは、煩悩に支配されず達観することなのでしょう。
どうすれば達観できるかわかりませんが「○○したら幸せになれる」というような、今ないものに幸せを求めるのはもうやめて、部屋も自分自身も、今ここに存在するものなんだから、それをとりあえず磨いてみようと思いました。

と、言いつつ部屋の片付けはその後も一切進まず最近になってやっと時間がある時できるようになりました。ダイエットはとりあえずこの時から2年後くらいには開始できましたが、ある程度体重を落としたら今度は維持が大変だと気付かされる今日この頃…

でも、部屋を片付けている時やダイエットのため筋トレをしている時、満ち足りた状態ではありませんがとにかく無心になれるのが心地良いです。

そして、部屋が片付いたときや体重が減ったときの達成感はたまりません。

なので、とりあえず今は部屋の片付けとダイエットを粛々と頑張っていこうと思います。