牛供養
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当山(願生寺)では、牛供養塔の縁もあり、江戸時代から牛車・荷役などの牛を供養してまいりました。
現在でも、皮革や食肉利用のために命を捧げてくれた牛の供養をお勤めするとともに、
今後の発展を祈念する法要を行っております。ご希望の方はお問い合わせください。
『牛供養』とは
我々の生活の礎には様々な生き物たちがいます。
しかし、日々の暮らしの中でそれらの生き物に感謝の念を向けたり供養をするということは忘れがちです。
仏教では『涅槃経(ねはんぎょう)』といわれるお経の中で「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」(生きとし生けるもの全てに仏陀になる可能性がある)と説かれています。
人間以外は声に出して・心を込めてお念仏を唱えることは出来ませんが、我々のそれを回し向けることはできます。
何かと忙しい世の中ではありますが、一度立ち止まって自分や会社を支えてくれた生き物の供養をしてみるのは如何でしょうか。
願生寺の牛供養塔
牛供養塔
当山、願生寺では牛供養塔の縁もあり、施餓鬼会(せがきえ)や盂蘭盆会(うらぼんえ)に併せて畜役の諸牛霊位も供養して参りました。
中国地方で行われている、田植えに際する伝統行事とは少し異なり、
江戸の町の造営などに力を尽くした牛車・荷役などの牛を供養するものです。
牛のみを祀った慰霊塔は全国的にも珍しく、このような寺院もほぼ見られません。
元々は1738(元文3)年に、車町(かつて当山(港区高輪)付近はこう呼ばれました、現在も町会に名前は残ります)の牛持ちの7家が慰霊のために造立したものでした。しかし、1806(文化3)年の大火で焼失してしまいまったため、それを当時まだ残っていた4家が中心となって1828(文政11)年に再建しました。
正面の独特な「南無阿弥陀仏」の名号は、将軍から庶民にいたるまで「生仏」として尊敬を受けた江戸時代の高僧・明蓮社大僧正顕誉上人愚心祐天大和尚(みょうれんじゃだいそうじょうけんよしょうにんぐしんゆうてんだいかしょう)の書を写し取り、刻んだものといわれます。その後もたびたび改修が行われ、江戸時代中には1866(慶応2)年再修の記録が残ります。
さらに1914(大正3)年、1939(昭和14)年には近隣で牛屋を営んでいた「牛鉄」関係者が中心となり、改修が行われました。竿石の左右には牛鉄初代の小川鉄五郎、その弟の小山菊次郎の名があり、その下段には小山喜三郎の名が刻まれています。
近年では港区の文化財に指定され、近隣の寺社・史跡と併せてお参りされる方も多くなって参りました。また、インターネットの普及により、牛供養のご依頼を飲食店様、ハンドバッグなどの皮革製品製造業者様、手芸サークル様などから受けることも増えております。
利用者の声
当山牛供養をご利用になるお客様の声をインタ ビューしてお届けします。
牛供養のお問い合わせ
当山では、今まで皮革や食肉利用のために命を捧げてくれた牛の供養をお勤めするとともに、今後の発展を祈念する法要を行っております。
法事や葬儀と違い、このような法要はピンとこない方も多いかと思いますが、大まかな流れは下記の通りとなっております。
その他の動物供養(実験動物など)やお店や工場などに出向いての法要も行っております。詳細についてはお問い合わせください。
- 当山へお問い合わせください(お問い合わせフォーム及びお電話)
- 日程、時間、場所、人数等、お打ち合わせさせていただきます。
- 初回の方には10分程度で簡単な仏教と浄土宗の教義、牛供養の意義について説明させていただきます。
- 本堂にお通りいただいて法要にご参列・お焼香をいただきます。
- 牛供養塔の前で線香と水を供えてお参りいただきます。
所要時間は全体で約40分程度です。ご参列の人数によって多少前後します。
浮世絵に描かれた港区高輪周辺
東海道 高縄牛ご屋(惺々周麿)
名所江戸百景 高輪うしまち(歌川 広重)
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