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【連載】檀家信徒の皆様へ近況報告と法話 第48回

2023.10.03

彼岸も明けて10月、一年も終わりが見えて参りました。

多少、涼しくなってきたものの、何か活動しているとなかなかの発汗量です、過日も道場でそれを感じました。

秋彼岸のお参りはコロナ前にほぼ戻っているような印象です、本年は特に久々の方も多く、お元気な様子を確認できて非常に良かったと思っております。

今回大きな変化としては、思い切って舗装を行ったことでしょうか。

風情に欠けるとは思いますが、このご時世、足元が不安定なままではどうにも不便ですし、万一転倒された場合などは大怪我にもなり得ます。

そのため、彼岸に合わせて舗装工事を行いました、おみ足悪い方には概ね好評で、目的自体は果たせたかと思っております。

これで余った石については墓所の整備のほうに回しますので、そちらも徐々に整ってくる見込みです。

本来は墓所のほうも舗装してしまうのがいいのですが、スペースの都合で重機を入れることが出来なかったりと問題があります。

そのため、石材店の協力のもと足元を整備していくことになる見込みです。

今日明日でというわけにはいきませんが、以前に比べればはるかにハイペースで整備しているところですので、今しばらくお待ちください。

一応、第二段階も計画が進んでおり、境内右手(鐘楼向かい)部分にもう少し舗装箇所を広め、そちらでも駐車や乗降をしやすくする方針です。

それに伴い、駐車目安のラインを入れる予定です。

境内はうまく利用すれば6台は駐車できるのですが、現在は位置の指定がないため、なかなか難しいのが現状です。

少しでも駐車待ちの状態が減らせるよう努めます、お参りが戻ってきたことを見て改めて考えました。

そして、これまでは秋彼岸が終わると年末まで一段落といった感じではあったのですが、本年からは少し様相が違います。

ペット合同法要、これは毎年10月にして既に何回かお勤めしているので通常運転といえますが、本年は十夜放生会が11月にあります。

練習も含めた準備がしばらく続きます、少しでも良い法要にできるよう努めますので、ぜひ皆様ご参加ください。

それでは、暑さの少し残る中、今月の法話です。

秋彼岸のお知らせとともに僧階を進めた旨、同封させていただきました。

お祝いをお持ちいただいた方もいらっしゃり、改めて御礼申し上げます。

改めて返礼を予定しております、年内には形にできるかと思っております。

とはいいつつも、正直なところ、私自身、僧階にほぼこだわりはありませんでした。

衣の色などより、檀家の皆様と真摯に向き合い、共にお寺を良いものにしていくほうがより重要で、それに勝る功績はないと考えており、それは基本的に今も変わってはいません。

ただ、わかりやすく先代より上にはしておきたいという、微妙なライバル心といいますかわかりやすいアピールといいますか、それのみはありました。

結果的に45歳にしてそれに並んだ(先代は教階・学階はないので、それを有する私のほうが上といえるかもしれません)ので、将来的には目標達成となることでしょう。

それに加え、檀家の方の御寄進である紫衣を後ろめたい気持ちで身につけるのも嫌というのも、今回、勧奨を受ける上での重要な要素でした。

そのようなわけで、今回はひとつ、区切りのつもりで申請を出しました。

ところで、この区切りというのも重要と最近感じるようになりました。

かれこれ上の子と始めた空手も2年ほどになります。

昇級するたびにInstagramにアップしておりますが、さすがに40代過ぎて始めたものなので「まあボチボチ」といったところでしょうか。

ある程度稽古を積む中、先生から審査の声をかけていただけるのですが、研鑽の区切りと考えると、それなりに重みがあることと感じています。

道場の段位持ちの方は本当に長く稽古を積んで、力量もさることながら人柄も素晴らしい人ばかりです。

剣道では1年ほどで初段がもらえたため、あまり厳密な稽古の区切りという意識はなかったところはあるのですが、改めてチャレンジする中、感じるものはあります。

それと同様に、私も役職の変更からはおよそ3年、実務を実質的に単独で行うようになってからは10年も近づいています。

その間にも当然、勉強や研究は進めてきたつもりです。

そう考えると、このタイミングをひとつの区切りとするのも悪くないと思った次第です。

当然、そこで歩みを止めるわけではありません。

あらゆる修練は続いていくもので、仏教でいうと「八万四千の法門」などといわれ、膨大な量の仏典が存在しています。

それを学んでいくのは当然ながら一朝一夕ではなしえませんし、一生涯をかけて行うものいえるでしょう。

浄土宗でも「四修」というものがあり、そのうちのひとつ「長時修(じょうじしゅ)」とは、他の3つ、恭しい態度で行を行うことなどを生涯続けることとされています。

他についてはいずれ機会あればお話ししますが、やはり継続は大切なことです。

とはいえ、現在は平均寿命も80年を超えた世界、先が長いと気持ちがついてこないこともあるでしょう。

そうしたとき、ひとつ節目を設定してみるのもいいことかもしれませんね。

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