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【連載】檀家信徒の皆様へ近況報告と法話 第15回

2021.01.09

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます、本年もよろしくお願い致します。

こちらの更新は月初一週間以内と心がけておりましたが、緊急事態宣言の様子で迂闊なことが書けないと様子を伺っておりました。

宣言もさることながら、大幅な感染者の増加には驚きました。

1000人超えで危機感を募らせていたところの更に倍というのは恐怖を感じざるを得ないところです。

年末に回忌のお知らせを送っているためお問い合わせが多いですが、こちらに関してもスタンスは今まで通りです。

回忌を半年や1年程度ずらして行うのは珍しいことではありませんので、沈静化後という形で問題ありません。

また、少人数で実施したいという場合にも対応はいたします、車で移動してそのままお帰りになればリスクは減るかと思います。

こちらも何度かお話しておりますが、zoomを利用して実施もご相談ください、おそらく問題なく執り行えるかと思います、経験がないので不安はありますが。

実施できないことに関して気に病んでいる方もいらっしゃいましたが、これは仕方のないことですので、故人様も理解をしてくれているところでしょう。

そもそも、その弔おうという気持ちはもう届いているのではないでしょうか。

どうしても気にかかるという場合は、こちらで塔婆や花を供えますので、ご相談ください。

また、施餓鬼もyoutubeにアップロードするといいつつなかなか手が回っていませんでしたが、現在作業をお願いしているところです。

家内のいわゆるママ友さんが編集できるということで、うまく進めてもらっています。

ただ見ているだけだと退屈かも知れませんので、お経の意味や解説などをテロップで入れてもらっています。

個人的には有意義なものとなっている印象なので、公開の際にはぜひごらんいただければと思います。

予定では春彼岸にお参りの方には情報をお渡しできると思います、それ以外の方は施餓鬼のお知らせに同封する予定です。

お知らせに続き、今月の法話です。

先ほど回忌の話が出ましたので、それに因むものですが、○回忌には規則があります。

これは法事の後に何度か話をさせていただいておりますし、今度「よくある質問」のところにも記載しようとは思っていたのですが、先にこちらで説明させていただきます。

亡くなって1年は一周忌、2年は三回忌といきなり数が飛ぶのですが、これは葬儀を1回目、1周忌を2回目の法要とカウントするためで、三回忌は3回目という数え方です。

亡くなった年+1となるのにはそうした理屈があります。

そして、ここまでは毎年法要があるのは亡くなった後の世界に因みます。

浄土宗では亡くなった方は阿弥陀様のお迎えで極楽浄土に往生するわけですが、三途の川のお話など、そうでないルートもあるのはご存知かと思います。

初七日・四十九日などはよく聞くかと思いますが、それ以外にも7日ごとに裁判があるわけです。

ちなみに、有名な閻魔大王は五七日(亡くなって35日目)で、大トリではありません。

泰山王が裁判官を務める7回目の裁判により、その後に生まれる世界が決まるとされています(浄土宗ではこれらを飛ばして極楽浄土へお迎えがきます)。

しかし、この○○王は全部で10人おり、ここまでだと余りが出てしまいます。

残り3人は百か日、一周忌、三回忌において、いわば再審を行います。

たとえば、四十九日に地獄道行きが決まったとしても、遺族が非常に悲しんで手厚く供養を行っていると、叙情酌量で判決が覆えされることもあるのです。

これが三回忌までの話ですが、その先は七回忌、十三回忌という形で3と7のつく回忌を飛ばし飛ばし行います。

なぜ3と7かということについては、正直にいうとわかりません、これは私の勉強不足ではなく、なぜそうなったかという説が複数あり、明確になっていないためです。

そのため、確定ではないのですが、仏教的にもっともそれっぽい説をそれぞれ紹介します。

まず、3のほうは、何度か出している「中道」に関係しています。

中道とはどちらかに振り切れない真ん中ということですが、3はyesとnoに対する「どちらでもない」のような、まさに第三の選択肢になるものです。

そこから、両極のどちらでもないという中道を示すものとして3のつく回忌が行われるという説があります。

7のほうは、「六道」に関係しています。

六道とは天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道のことです。

7というのはこれらの6つの世界の輪廻から超越した仏の世界を示すということで、7のつく回忌が行われるともいいます。

なお、天道は浄土とは異なります、このあたりの話は住職の連載中のコラムでもご確認ください。

しかし、極楽浄土に往生していたらこの回忌は無意味ではないかという疑問も出てくるかと思います。

結論から言うと無意味ということはありません。

往生された方は成仏のための修行をされ、いずれこの世界で苦しんでいる人を救うために帰ってくるといいます。

供養はその修行なり尊い行いなりに追い風を吹かせてあげることになります。

そこまで大層に考えなくても、縁のある方が心をひとつにして故人様を偲ぶことは、そうした理由をなくしても良いことではないかと思います。

残念ながら我々の多くは歴史の教科書に名前を残すことはありませんが、縁のある方には大きな影響を相互に及ぼしています。

そうした人について語り継いでいくことは貴重なことであると思います。

本年もコロナの影響が続きそうではありますが、まずは皆様のお身体を第一に考え、1年遅れ(「後飾」といいます)などでご検討ください。

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