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【連載】檀家信徒の皆様へ近況報告と法話 第17回
2021.02.28
今年度も末となると同時にコロナ騒動が本格化して丸一年です。
この一年を思い返すと、住職交代からその他諸々、本来でしたら晋山式など含めて色々なことがあったはずですが、それら以上にとびきりイレギュラーだったかと思います。
人が少なかったり業者が捕まえやすそうな今だからこそと、本堂や庭の整備などに力を入れましたが、やはり見る人や利用する人が少ないと本末転倒な気もしてしまいます。
無理矢理ポジティブに解釈すれば、1年目と並行して、衰えが一気にきた設備に関する手入れを行わなくて済んだといえるかも知れませんが、どうせなら檀信徒の皆様が喜ばれてこそ、というのはどうしても感じてしまいます。
今年はまだ施餓鬼をフルに入れてというわけにもいかなそうです、お盆くらいには多少変化があるかも知れませんが。
一応、インスタグラムなどで状況は報告しておりますが、お参りいただけましたら、ぜひ実物をご確認いただき、ご感想などをいただければ幸いです。
お彼岸についても後日指針を出す予定ではありますが、まだ気を抜かれず、くれぐれもご無理のないようお願いしたい次第です。
しばらくは引き続きリモートによる配信などにも対応していく予定ですので、ご要望ある場合はお知らせ頂ければと思います。
そんなわけで令和2年度末の法話です。
私がライター業で関わっている会社主催の「知識検定」というものが過日実施されました。
言ってしまえば「凄いボリュームのクイズ」ですが、現代社会でよく耳にするワードなども生活の上であるべき知識として問われています。
そんな中にあった1問
Q:現代仏教を批判した言葉は何か。
A:葬式仏教
簡単にいうと「葬式の際にしか必要とされない、近年の形骸化した日本仏教」ということですが、確かに日常的に仏教や寺院を意識する人は減っている印象があります。
葬儀についても何が重要なのか、どういう意味があるかなどについても説明もなく、ただ惰性であったり、何らかの強制力であったりで行うケースもあるようです。
こうした批判を聞くと思い出す話があります。
かつてお世話になった先輩のお母様が亡くなった際、菩提寺に相談にいったら、まずお金の話をされた上、提示した額にかなりのクレームを入れられたそうです。
しかも、その額は決して少なくはないもので、私なら「ちょっと多いな」と思うほどです。
その他も不満なことが多かったようで「どこぞの本山で修行した偉い人らしいが、社会経験のない奴は色々と問題あるよな」という言葉は当時は教員兼僧侶だった私にはなかなか突き刺さるものでした。
勉強・修行はよりクオリティを高めるために重要です、しかし、それが当人を増長させてしまうものなら何のためのものかわからなくなってしまいます。
私共のような職業は多生浮世離れしているほうがいいという方もいますが、あまりにも世間一般の感じ方とズレがある人が他人に寄り添えるかというと、難しいのではないかと思います。
もちろん、お寺一本で頑張っている方でも立派な方はいくらでもいます、外に仕事を持っているからバランス感覚があるとも限りません。
大学院や行の同期も皆立派ですし、SNSで情報を発信してくれている方も素晴らしい姿勢で法務に臨んでいます、上記のような方もごく一部が悪目立ちしているだけでしょう。
しかし、そうした悪目立ちしている人から「葬式仏教」のような批判が生じていることも事実です。
元々禅宗や浄土教は勤労を容認していることから、唐代などの迫害を逃れられた点もあります。
当時は自給自足の農作業などだったかも知れませんが、一日の食事を得るための努力がどれほどのものかを知るのも重要な経験だったことでしょう。
浮世離れしている人が身近であるわけもなく、本来は身近に感じられるはずの仏教にも隔たりができいってしまうのも当然です。
妙に迎合的なことも問題ですが、少なくとも歩み寄ってくる方の意欲を削ぐような行動は慎まなければなりません。
近年はイベントなどで仏教や寺院を身近に感じてもらう試みも多く見られます、当山でも現在は時節的に中断しておりますが色々試みている段階です。
幸いにも当山はまだ檀信徒様との距離が近いと感じられますが、常に自問しつつ、親しみの持てる寺院であり続けたいと思う次第です。