お知らせ
【連載】檀家信徒の皆様へ近況報告と法話 第37回
2022.11.01
彼岸も終わり、当山としては一段落の時期となりました。
昨年から10月に愛玩動物供養法要を厳修しておりますが、今年はなかなかご都合合わない方が多いようで、まだ調整が必要かと思っております。
なるべく「10月○週の土、もしくは日曜」と固定したいのですが、少々難しいかもしれません。
また、合格祈願法要は9月に前倒ししました。
こちらは本年の件数は多くありませんでしたが、皆様良い結果が出てくれるのを祈るばかりです。
この時期には浄土宗ならではの「十夜」という行事がありますが、当山ではいつからか断絶しているようです。
詳細は「よくある質問」のところに記しておりますのでご覧いただければと思うところですが、こちらについても少しアイデアが出ています。
いずれ、まとまった後に、檀信徒の代表である総代の方に相談し、何らかの形で法要を行うかもしれません。
何か決まりましたらお知らせいたしますので、お待ちいただければと思います。
そのような動きがあるかもしれない11月の法話です。
先月、掲示板を設置したのはお知らせにもある通りです。
一応、家内にも書いてもらい、数回分のネタもストックしているのですが、まだ貼りだしておりません。
数日以内に出すとは思うのですが、その際にはこちらにも内容の解説を入れる予定です。
さて、何かちょっといいことの書いてあるお寺の掲示板、ルーツについて少し調べてみたのですがよくわかりませんでした。
以下、ウェブ辞書サービスの「コトバンク」の「お寺の掲示板」の項目を引用すると
「寺の門前にある掲示板のこと。
短い言葉で仏教の教えや人生訓などが標語として掲げられているものが多いが、
中にはタイムリーな時事問題を取り入れたものやユーモア溢れる表現のものもあり、
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及でそれらが多くの人の目に触れるようになった。
2010年代末には掲示板の写真を集めた書籍が刊行されたり、
仏教関連の公益財団法人がネット上で写真コンテストを開催するなどして話題を呼んだ。」
ということです。
教化の一環としてどこかの寺院が経文の一節や高僧の言葉などを紹介したものと考えられますが、別に縛りはないものといえます。
お釈迦様の説法というのはどちらかというと、困った人や弟子の質問などに対応するものが多い傾向にあります。
「浄土三部経」でいうと『阿弥陀経』は自ら説かれたものですが、『無量寿経』は阿難尊者の質問に対して、『観無量寿経』は幽閉中の韋提希に対する教説です。
「対機説法」という言葉がありますが、これは相手の能力や機会に応じて理解できるよう教えを説くということです。
まさに先ほどのようなQであったりお願いであったりに対し、その状況や相手に応じてわかりやすく説明をしているのです。
それを考えると、掲示板に経文などを打ち出して道行くあらゆる人に向けることは少し違うという考えの方もいるようです。
とはいえ、先の『阿弥陀経』のように自主的に説かれたものもあるわけで、間違っているとも言い難いものです。
何より普段は目につかないものが目に付くのも重要なきっかけであるとも思います。
また、当山のように少し奥まったところにわざわざ足を運んだということはそれも何らかの縁です。
それを見て何かしら思うところがあれば効果のあるところとは思います。
そんな話ですが、あまりお経から選出しようとはあまり考えていません。
逆に上にあるような上手いことを狙うというわけでもなく、何か日常などの中にある仏教的なものを紹介できればと思っております。
それにより、身近なものの中にもそうした思想が根付いていることを感じ取ってもらうこと、これはしっかりとした教化ではないかと考えます。
次回お参りの際には、少し入口右手の方にもご注目いただければと思う次第です。