お知らせ
【連載】檀家信徒の皆様へ近況報告と法話 第29回
2022.03.01
日中は春らしく暖かな日が増えてまいりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。
まん延防止等重点措置が延期されそうな様子で、このままだと春彼岸にもかかりそうです。
とはいえ、ある程度は新規感染者数も減少しているので、3年連続緊急事態宣言下の施餓鬼という状況はないと思いたいところです。
私共は先代夫妻も含め特に病気もせず過ごしておりますが、直接的な交友関係がある中で感染者が出始めました。
これまではどこか、飲みに行っている人がかかっているなどと思っておりましたが、そういうわけではないことを実感しました。
今後もしばらくは感染症対策を重視するため、法要などの際に何かとご不便をおかけするとは思いますがご容赦ください。
まったく別の話になりますが、1月から2月にかけて複数のご寄付をいただきました、ありがとうございます。
本堂の仏具等に使用し、寄付額とは別にそれぞれ御名前を記させていただく予定です。
本来なら春彼岸のお参りの際にご紹介するところなのですが、物流の影響がこんなところにまで出ているため、納品が想定よりかなり先になるようです。
施餓鬼に間に合えばいいのですが、最悪、お盆や秋彼岸にまでずれ込みそうです。
納品されましたら、こちらやInstagramのほうでお知らせいたします。
また、以前お問合せが一部あったのですが、一定額をお納めいただいた場合は客間の椅子の寄付扱いとしてプレートを入れさせていただいております。
こちらの詳細ついては改めてご案内する予定ですので、今しばらくお待ちください。
それでは今月の法話です。
コロナ禍が続いておりますが、手洗いうがいの徹底ためか、インフルエンザから肺炎になり亡くなる方がほぼいなくなっております。
そのため、ここ2年は葬儀が少ない傾向があったのですが、1月・2月と急に件数が増えました。
スケジュール的に少々ハードになっても、じっくりと戒名を考え、入念な準備の上で葬儀に伺うわけですが、ここでふと思い出した話です。
私は20代から先代とともに葬儀へ同席していますが、当時からご遺族の方はもちろん、葬儀屋のスタッフさんにもかなりご丁寧な対応をいただいております。
葬儀屋の方はまだ若輩の私にも鞄を持ちます、車のドアを閉めますなどと気を使ってくれるのですが、若手(この世界で40代は超若手です)には少々重すぎると感じていました。
私は剣道をやっていたこともあり、そこでの経験を何かと思い浮かべるのですが、道場では七段八段の先生も防具を担いで稽古にきます。
そのような価値観が根底にあることから、若造が仕事道具を他人に持たせるのは間違っているのではないかと感じてしまうのです。
そんなわけで、私はいつも葬儀に伺う際には特別な事情がない限り自分で運転し、斎場でも鞄は持って回っています。
ところが、全く違うスタイルの方もいるようで、それにはしっかりとした理由もあるようです。
鞄を持ったりも葬儀社の仕事のひとつだし、そのような様子を見ると、ご遺族の方も格の高い僧侶がきたと誇らしい気持ちになるというものです。
なので、斎場へはタクシーやハイヤーで赴き、堂々とした風格のようなものを出すのも重要だという話でした。
その話を聞いたときの感想は「なるほど」でした。
私もそのように堂々としたほうがいいのかもしれませんがどうにも苦手です。
自分の車で向かうのも、途中で発声練習などが出来て便利だなと思ってしまいます。
しかし、先の説に対して納得感があるのも事実です。
では、どちらが正しいのでしょうか。
これはどちらも正解であると思います。
よほど悪いことでない限り、無理に正解をひとつに絞る必要というものはあらゆることについてないといえるでしょう。
たびたび話に出していますが、仏教には「中道」という言葉があります。
全てがイエスかノーかではありません、多様なスタイルを認めることもまさにそのひとつ。
他の価値観を認めてお互いを尊重し合うことは社会においても重要なことです。
しかし、状況であったり利益であったりがそれを許さない場合も多々あります、難しいことでしょう。
そんなときこそ仏教の寛容な精神でより良い道を模索して欲しいものです。
結局は自分のスタイルを貫いている私も寛容ではないのかもしれませんが、凡夫なので仕方ないといったところで締めさせていただきます。