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【連載】檀家信徒の皆様へ近況報告と法話 第28回
2022.02.01
2022年も1月が経ちましたが、一気に世の中の様相が変わってきました。
正直、先月の記事を書いているときは少々楽観的なところもあったのですが、そうもいかなそうです。
直接的な関係ある人の中にもコロナの濃厚接触者などが現れており、これまでより近くに押し寄せてきた感じがあります。
それに伴い、2月の涅槃会は初の試みながら中止せざるを得ない状況となりました。
毎年2月11日の総代会も延期とする方向で考えており、諸々予定が後ろ倒しになる予想です。
皆様にもお気をつけいただくとともに、寺族も十分な注意を払い、発熱などで法要が実施できなくならないよう努めます。
とはいえ、ご不安な場合は延期などについて遠慮なくご相談いただければと思います。
そんな状況ではありますが、長女が幼稚園卒園までは休園なくしっかり楽しんだ上で小学校に入学してくれればと願うところです。
とりあえずは寺族に体調不良者は出ておりませんので、危険なこの状況を乗り切りたいところです。
そんなわけで今月の法話です。
前述した通り長女が来年から小学校ということもあり、ランドセルが届いております。
進学も楽しみなようで、100均で買ったノートやらを詰めて学校ごっこを楽しんでおります。
また、私の母校に通うこともあり、それを知ってか小学校時代のことを色々聞かれます。
そうすると、記憶の彼方に旅立ってしまっていた何気ないことなどが思い出されてくるわけですが、内容のバリエーションは様々です。
楽しいことも多いのですが、ちょっとネガティブなことなども当然あります。
そんな中のひとつ、ふとあまりいい話ではないのですが、5年生か6年生のある出来事を思い出しました。
確か「芸術鑑賞」だとかその手の類の行事だったと思うのですが、ミュージカルを見に行きました。
ただ、その演目が『王様の耳はロバの耳』だったのですが、小生意気な時期に差し掛かっている高学年の大多数にはあまり響かなかったようです。
「みんな一緒に歌ってね」の声にもあまり反応していなかった記憶がありますし、私や仲の良い友人も同様だったことでしょう。
その数週後だったか、完全に記憶から抜けていたあたりで、どこかの新聞の投書か何かに上記の楽団の方が「子どもたちが乗ってくれない」的なことを書いていたそうです。
私はそれを見たわけではないのですが、数人は「そんなこと言われても」のような何ともモヤモヤした気持ちだったように思います。
私の当時の意見も「どう考えてもミスマッチだろ」でした。
対象年齢が明らかに違うのは明白でしたし、先生方ももっと考えて楽しめるものをもってくるべきだとも思いました。
ただ、教員経験を踏まえて考えるに、特定の時期・一定の予算・移動可能範囲などの条件を考えると仕方ないのもわかります。
それならそれで、誰でも知っている話を違う演出で見てみるとどうなるかなどのテーマを提示するべきでしょう。
落語家が話すネタは、オチまで知っている話でも笑えたり感動したりできます、せめてそういうパスは出すべきだったとは感じます。
そうした微妙な不足が各方面で積み重なり、全方面に良くない思い出になってしまったのは非常に残念なことです。
高校1年の頃、やはり芸術鑑賞で京劇を見ました。
こちらは本格的な団体が来て、わかりやすい派手さに加え、適宜解説が入っており、非常に楽しかった記憶があります。
正直、さっさと部活に行きたいような面々でもかなり心を踊らされたようでした。
心底楽しめたのはアクションなどの目につくものだけでなく、話や演出を理解する教養的なものも十分育っていたというのもあるでしょう。
小学校でみたとしても派手で面白いとは思ったかもしれませんが、理解には及ばなかったでしょう。
こんなこととともに頭に思い浮かぶ言葉は「応病与薬」というものです。
字面は医学用語なのですが、れっきしとした仏教用語です。
医者が患者の病気に応じて薬を与えるように、仏様も受ける人の素養や要求などに応じて教えを説くとたとえたものです。
仏典でも相手の能力に応じてたとえたりわかりやすくするため、たまに矛盾箇所が出たりしますが、それは「方便」とされています。
そうはいっても、相手に何か伝えるためには必要な措置です。
いくら大事なことであっても、ベースがない人には伝わらないこともありますし、逆にそんなの言われるまでもないととられてしまうこともあります。
私もなるべく興味を引けるようなテーマで話をと思うところですが、やはりなかなか難しいものです。
とはいえ、それを放棄しては何も伝わりません、良い題材も空振りにならないよう、研究していくことが必要です。
ふとした小学校時代の思い出とともにそんなことを感じました、皆様もこの言葉、心に留めていただければと思う次第です。