お知らせ
【連載】檀家信徒の皆様へ近況報告と法話 第14回
2020.12.06
早いもので、ここに月1回の法話を始めてから2回目の師走となりました。
昨年からカレンダーの到着が遅くなっているため、それに伴い発送が後ろ倒しになっております、ご了承下さい。
こうして1年を振り返ってみて、と年末らしい書き出しにしたいところですが、今年の思い出の少なさに驚くところです。
コロナウィルスのため帰省も旅行もなく、家ちょっと友人に会うなどということも自粛していたため、にいたことばかりが今まで以上に思い返されます。
ジム通いも控えたため、例年になく不健康だったのも反省点であるとともに、会費がもったいなかったなと思う次第です。
一方で、住職交代とともに、今まで以上に気づいた点の改善を行ったつもりではあります。
家にいるぶん、気になるところや出てくるアイデアがこちらも以前より多かった気がします。
来年は今年よりもしっかりとした形で施餓鬼を行い、住職交代に関する挨拶もしたいと思っております。
そのための下準備といいますか、そういった点では良いものが出来たという手応えはあります。
住職交代の意思表示が2月末、そこから5月ですと出来ることは限られてしまいますし、登記途中ということで中途半端になってしまう状況でした。
土台作りとしてはプラスであったと捉えたいですね、お檀家様でコロナにかかって苦しんだ方がいないからいえることですが。
大変な状況にある中でも、『鬼滅の刃』の大ヒットなど、ポジティブなニュースや動きもありました。
収束が一番の朗報ですが、こうした少しでも明るい出来事が増えて欲しいものです。
ワクチンができたとはいえ、まだまだ油断ならない状況にあります。
来年もしばらくは衛生面等強化した状況で皆様をお迎えできるよういたしますので、しばらくはご協力のほどよろしくお願い致します。
そんなわけで2020年最後の法話に移りたいと思います。
境内や本堂、庫裡部分に関して清掃・整理を進めております。
整理や美化の進み具合に関しては家内の影響が大きかったと思います。
家にいると何となくそれまで気づかないものの、客観的に見たらここがおかしいというようなことはいくつもあります。
特定スペースに謎のものが置かれているなど、何も感じていなかったのも怠慢なのですが、家内の言葉でコペルニクス的転回とでもいいますか、色々な気づきがあったように思います。
発想を変えて今まで放置していたところに切り込んでいくと、実に無駄なものに余計な手間をとらされていたなと痛感するところが多々ありました。
本堂裏手に物置があるのですが、先月畳替えでPC作業が行えない日に大規模な清掃を行いました。
棚には色々と段ボールやらが入っており大量の物があふれかえっていたのですが、蓋を開けてみたら何てことはない、古い紙袋の束などのゴミが入っているだけなどのものが大半でした。
実際、何かを渡したりで紙袋を保存しておくのもわかるのですが、100件も200件もそうした機会が頻繁に発生するわけではありません。
そういったものは一気に断捨離し、一足早い大掃除を進めました。
何となく捨てにくいのでとっておく、といったものを発見するたびに「鶏肋」の言葉が頭をよぎりました。
『三国志』に登場する言葉ですが、「たいして役だつものではないが、捨てるのは惜しまれることのたとえ」です。
ここから三国志の話をし出すと仏教に関係ない上、非常に長くマニアックな話になるので自粛します。
ちなみに、私は三国志好きなので、そのネタをふると喜びます。
仏教で似たような言葉はないかと考えると、おそらく「執着(しゅうじゃく)」が近いでしょうか。
これは「事物に固執し、とらわれること」、つまり、普通に「しゅうちゃく」と読んだものとほぼ同一です。
執着は苦しみの原因である煩悩を生むものです。
何かを大事に使って資源消費を抑えようというのは大事な心がけです。
しかし、それにこだわる余りスペースを潰してしまえば、本来そこに入るものが溢れ、そして、どこかで余計な手間などが生じてしまいます。
溢れたものが別のスペースを圧迫すればどんどん負の連鎖を生んでしまいますし、美化の面でも望ましくありません。
さらに、いざそうしたものを捨てようとすれば余計なコストと労力がかかってしまいます。
現代ではちゃんと分別して破棄すれば資源はリサイクルされます、何かを捨てることは野焼きしていた時代と違い全て無駄になるものではありません。
大掃除で悩んでいる方は、こうしたことも踏まえて一緒に執着も捨ててみるといいかもしれません。
周囲とともに心身もすっきりして新年をお迎えいただければと思ったところで2020年の法話を締めたいと思います。
なお、除夜の鐘は時間短縮などで実施予定です、要領についてはホームページに記載いたしますので、後日チェックしてみてください。