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【連載】檀家信徒の皆様へ近況報告と法話 第69回
2025.08.01
梅雨も明け、毎年のことながら暑さが更新されています。
かつて、施餓鬼を7月3日にお勤めしていた頃も準備は汗だくになっておりましたが、ここ数年はそれどころではありません。
改めて5月17日にずらして良かったと思っております。
一方、お盆法要についてもかれこれ10年近くが経過しています。
元々は葬儀が多かった年に新盆の質問が多かったためお勤めするようになったのがルーツですが、お参りも多いので全体法要に拡大しました。
8月の旧盆もお休みでお参りしやすかったり、そちらのほうが馴染みがあるという方も少なくないため引き続きお勤めしています。
とはいえ、近年の暑さからかお参りは少々控え目です。
一方で、塔婆依頼のほうは増えていますので、皆様コンディション等を冷静に見ていただけているようです。
お盆は行事の中でももっとも一般的でわかりやすいものではありますが、近年の猛暑からするとお参りにもそれなりの体力や思い切りが必要です。
あまり義務的にならず、諸々考慮して理性的にご判断いただければと思います。
基本的に当山のスタンスとして何かを強制するということはありませんので、皆様のご事情優先していただければと思います。
そんな暑さの中の法話です。
今回は「仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり」という言葉を紹介します。
これは鴨長明の『方丈記』の第五段にある言葉です。
簡単にいってしまえば「仏教の教えは何事にもとらわれ過ぎないこと」という意味です。
度々、「執着」というものは苦しみの元であるというお話も載せています。
何か物欲などをイメージしがちですが、この段では「今、草庵を愛するも、閑寂に著するも、さはりなるべし」と続いています。
訳すと「今、草庵で閑かな生活を望むことも執着といえる」ということで、一見世俗的な欲から逃れた境地のようにも感じますが、それを望むことすら執着心であるといいます。
なかなかに難しいことで、それすらも自分自身に対する思い込みのようなものでしょうか。
生きていく上で経験や習慣というものは数多く身についてきます。
ルーティーンとして行うと調子がいいというようなこともあるでしょう。
中には集団の中で空気を読むというようなこともあり、確かに生きていく上では重要なことです。
しかし、それによって自分自身はこうあらねばならない、といったような固執は先にいうような執心といえるでしょう。
今日は36℃もあるけどお盆参りは必ず行かねばならない、というのもそのひとつかもしれません。
確かにご供養やお参りはぜひ行っていただきたいものですが、それにより体調を崩すなどがあってはご先祖様も悲しむことでしょう。
極端に暑い・寒い時期は、ルールと縛られずにご自身の体調などを考慮してスケジュールしてください。
また、先にあるよう、お参りは厳しいが塔婆と供花のみお願いしたいといわれれば、当然承ります。
まだ2月ほどは暑さが続きそうですので、どうぞお気をつけてお過ごしください。