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【連載】檀家信徒の皆様へ近況報告と法話 第58回
2024.08.01
「記録的な猛暑」という言葉が毎年更新されていくのも当然のようになってきました。
先月は七月盆をお勤めさせていただきましたが、概ねお参りは例年の水準といった感じでした。
暑さで控えるという方もここ数年増えておりますが、その分、若い方が増えてきた印象です。
当山では、10年ほど前までは施餓鬼が7月3日だった都合、お盆兼のようになっておりました。
そのため、独立した形でのお盆というのは実のところ歴史が少し浅いのです。
とはいっても、3日、13日と両方お参りいただく方も多数おられましたが。
それはさておき、そんな事情もあり、お盆=夏休みのイメージが個人的にはあまりありません。
逆に娘たちにはお盆がきたらもうすぐ夏休みということで、印象的なものになって欲しいところです。
こうした印象付けはお盆を迎える習慣化にもつながると思っております。
何かとこうした仏事の他にも季節の行事や風物詩というのが薄れつつあるこの頃です。
文化の承継という点でも役割を担っていくのは寺院の重要な責務です、身近なところにまずは浸透させたいところです。
それに少し関連しますが、近年、海水浴客が大幅に減少しているというニュースを目にしています。
コロナの影響もあるようですが、その後もなかなか客足が戻らない、特に若年層の減少がみられるということです。
猛暑、交通事情、娯楽の多様化など様々な要因はあると思うのですが、何となく寂しさを感じます。
私自身、頻繁に海へ出向いていたかというと、そこまでではありません、平均すると年1回あるかどうかです。
そうはいっても、夏といえば思い浮かぶような風物詩が定番でなくなるのは何ともいえないものです。
海というと、仏教にもしばしば出てくる言葉です。
たとえとして用いられるケースが多いですが、「苦海」という言葉があります。
大海のように苦しみの多い我々の世界を指すものです。
他にも「法海」というものもあります。
これは仏教の教えが深く広大なことをやはりたとえたものです。
海は生命の母などともいいますが、かつての人々は果てしない海を見て、同じく広大・深遠なものを思い浮かべたものでしょう。
海水浴客でごった返す海はそのような思いに至る環境ではないかもしれませんが、身近なものから少し離れてしまうと、このようなイメージも伝わりにくくなるのかもしれません。
人類の普遍的な価値観といいますか、感覚といいますか、こうしたものは受け継がれていって欲しいと思います。
お盆の先祖供養などは、人類史としては新しい感覚ではあるかもしれませんが、非常に長い間培われてきたものです。
その大切さも伝えていければと思う次第です。