願生寺の嫁ブログ
寺嫁日和
私の就活体験記 後編
2025.04.14
大学の面接練習で自分の甘さを思い知り、
自己分析を通して自分と向き合う日々。でも、どうしても自分の強みが分からずエントリーシート通過後一次面接に進んでも今ひとつ自己PRができずに手応えを全く感じず、本当にどこかに就職できるんだろうかと不安を感じる日々でした。そんな折、浅草にある会社を受けた帰りの電車にて…「今日も全く手応えを感じなかったな。落ちるだろうなぁ…」と思いながら銀座線に乗っていましたら、隣に座っていた人からいきなり「就活中?」と聞かれ、「はいそうです」と答えたところ、以下の会話「君留学経験はあるの?」「ありません」「TOEIC何点?」「500点台で…」「あっもう君は社会で通用しないね」と、何と電車で隣に座っていただけの見ず知らずの人に言われたんですが…私「でも、私は大学時代体育会少林寺拳法部で部活に専念してきました」と言ったところ、「それでいけ。体育会は強いアピールポイントになる」と言っていただき、更にどこを受けるのかと聞かれ色々と会社名を伝えたり、今日の面接で落ち込んだことなど、名前も知らない初対面の人に散々話を聞いてもらいました。その方、スマートで頭の回転が著しく早い人で、あの会社には未来があるとかあんな会社には未来がないとか、学生で「Win-Win」なんて面接で言ってる奴は何も分かってないだとか、その本人は以前広告代理店に勤めていたけど今は辞めて自分で会社を回してるだとか、銀座線の浅草から渋谷に着くまでの間に色々な話をしました。渋谷に着く頃には私の悩みもおよそ解決し、今後の面接はとにかく体育会推しでいこうと思いました。何かの大会で優勝したわけではないけれど、私なりにどれだけ部活を大切に思い頑張ったかを伝えれば良いと思いました。で、その初対面の人と渋谷で一緒に降り、私はその後田園都市線乗り換えだったのでそこでお別れだったのですが、「名前くらい教えてください」と言ったところ、「そんなの聞かなくていいだろ。じゃあな」と、その人はハチ公の向こう側へ
颯爽と去って行きました。
「あの人一体誰だったの?」と
思いましたが、
思い返せばこの出来事が私に内定をもたらしたのです。その後の面接ではとにかく部活を頑張ったことを熱く語り、だからこの会社でもこんな風に貢献したいと熱い思いを伝えていました。時代も味方をしてくれていたことは大前提ですがいつの間にやら2社から内定をいただきました。そのうちの1社は銀座線で隣に座った人が「あの会社は良い!未来がある!」と言っていた会社でした。そして私はその会社に就職しました。でも、私はその会社を丸6年勤めて辞めました…そして退職後家でテレビを見ていたら、何とあの時銀座線で隣に座って色々話したあの人がテレビに出ていました。マツコデラックスさんの番組でした。もし、私がまだ「未来がある」と言っていた会社に勤めていたら、あの時銀座線で隣に座った学生です。その後「未来がある」会社に就職でき、今こんな仕事をしていますとDMでも送ったことでしょう。でも私は辞めているのです。「未来がある」会社を…
「未来がある」会社で営業をしていました。
魅力溢れる上司、先輩、仲間に囲まれ
充実した社会人生活を送っていました。
仕事柄、社長とその奥様にお会いする機会が
沢山ありました。
充実した社会人生活を送っておきながら、
世の社長とその奥様にお会いする度、
「どうして私はこっち側にいるんだろう。
何であっち側じゃないんだろう。
私あっち側に行きたいんだけど」
と、いつも思ってしまっていました。
だから自営業社長と結婚したかったという本音。
「未来がある」会社で
私が思い描いた未来は自営業社長の嫁…
そして寺という名の自営業住職と結婚し、
私は「未来がある」会社を辞めました…
話が逸れてしまいましたが、
そうそう、これは就活体験記。見事に何のお役にも立たない内容で
すみません…